こんにちは、カピの塚です。
桜も咲き、プロ野球のリーグ戦も開幕して、すっかり春ですね。
(出だしが微妙に内容が時期外れになっているのはご了承ください)
日本野球機構傘下のプロ野球はセントラルリーグとパシフィックリーグの2リーグ制で、
6球団ずつ合計12球団が闘いを繰り広げています。球団名には強そうな鳥獣の名前を冠しているところが多いのですが、その中で鳥を用いているのは、福岡ソフトバンクホークス(タカ)、東北楽天ゴールデンイーグルス(ワシ)、東京ヤクルトスワローズ(ツバメ)の3球団となります。
タカもワシもとても強そうです。ツバメは人間の住処の近くに巣を作る傾向にあり、どちらかというと親和性のある鳥のイメージです。この趣は他の2球団とはちょっと異なりますね。ところが、スワローズはとても伝統のある名前を背負っています。
実は、東京ヤクルトスワローズは、もともとは
“国鉄スワローズ”という名前で1950年に創設された球団でした。
えっ、国鉄!?
今では考えられないことですが、60年前は国鉄がプロ野球に参加していたんですね。とはいっても、国鉄は公共事業体であり民間会社ではないため直接プロ球団を持つことはできませんので、(財)交通協力会、(財)鉄道弘済会、日本通運、日本交通公社(現在のJTB)が協力して国鉄球団という株式会社を設立して間接的にプロ野球に参加する形を取っていました。
そして、球団名は当時の国鉄で唯一の特急列車「つばめ」号に因んで「スワローズ」となりました。国鉄にとってツバメは速さの象徴であり、実質的なマスコットキャラクターのようなものでした。
それでは、「つばめ」の歴史を振り返ってみましょう。
―― つばめのルーツ ――
時間をさかのぼること1930年、特急「燕」号という列車が東京駅~神戸駅間にて運転が始められていました。漢字表記となっていますが、前年に鉄道省が特急列車の愛称を一般公募した際に「富士」「櫻」と共に採用された名前の一つでした。
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C51-247 超特急「燕」牽引機
この時代、特急「富士」号が東京駅~大阪駅間を10時間以上かけて運行されていたのに対して、特急「燕」は8時間少々で運行されたため、超特急とも呼ばれ、速度の面で人気がありました。しかも、一、二、三等の全ての階級の客車が連結され、最後尾には
一等展望車を連結、1936年には
冷房付きの食堂車まで連結するという、あまりにも豪華なサービスぶりで、当時の日本の鉄道を代表する特別な列車となっていました。
その後、戦争が始まると運行が取り止められてしまいますが、戦争が終わって1950年になると特急「つばめ」号として復活します。牽引用の機関車には国鉄最大最速の性能を持つ蒸気機関車・C62形が抜擢されます。
1956年には東海道本線の全線が電化されると、国鉄はこれを記念して機関車(EF58形)と客車ともに車体の色を明るい緑色に塗り替えるという、極秘企画を実施しました。緑色の長い列車が蛇のように走る姿に見立ててか、このカラーリングは
青大将色と呼ばれるようになります。客車といえば茶色が常識だった時代に、この塗装は人々に衝撃を与えたことは間違いありません。
このように、国鉄が「つばめ」という列車一つにスピードや接客設備などの高品質なサービス、そして乗客を驚かせるような企画を用意していたのです。その姿勢からも、国鉄の命とも言っても過言ではないツバメを球団の名前に用いたというところを見ると、プロ野球に懸ける意気込みや、スワローズという名前の重みがお分かりいただけると思います。
―― 客車から電車へ。そして二度目の消滅 ――
151系で運行する特急「こだま」号の登場により、1960年には特急「つばめ」号も151系を使用した電車特急に衣替えすることとなりました。展望車は無くなってしまいましたが、それの流れを組むかのように、“パーラーカー”と呼ばれる大きな窓を装備した特別車両を連結していました。しかし、1964年には東海道新幹線が開業すると、「こだま」はそのまま新幹線の名前として格上げされたのに対し、「つばめ」は西日本から九州方面の特急列車として活躍の場を移すことになりました。
九州内でも運転区間が延長され、さらにエル特急(運転本数の多い特急)扱いとなり、一般的な特急列車と同じようになっていきます。そして、山陽新幹線が博多駅まで開業した1975年、残念ながら廃止となってしまいました。
―― 二度目の復活、そして新幹線へ ――
「つばめ」の名前を冠する列車は、国鉄が解体されJRグループ各社となってもしばらくの間は出現しませんでした(臨時列車を除く)。理由は「つばめ」の名前に見合った格式ある列車が無かったから、と言われています。
ところが1992年、JR九州が運行する特急列車の名前として「つばめ」が再び復活することとなりました。JR九州は「つばめ」の名前を使うにあたり、
他のJR各社に了解を得てまわったということですから、国鉄がなくなってJRとなった現在においても、「つばめ」は別格の扱いとなっていることが覗えます。
787系はドーンデザイン研究所がデザイン設計を手掛けました。そのスタイリッシュな外見のみならず、内装や接客設備においても秀逸で、ブルーリボン賞などの鉄道関連の賞に限らず、ほかにもいくつもの賞を獲得しました。「つばめ」の名を背負う列車としては十分な電車であるといえます。
そして2004年。九州新幹線の開業によって、「つばめ」はいよいよ新幹線の列車名に使われるようになりました。787系「リレーつばめ」と共に、これが現在の「つばめ」の姿となっています。
九州新幹線は建設中の新八代駅~博多駅間の完成に伴い、2011年3月に全線開業を予定しています。残念ながら「つばめ」は九州内限定での運行になるようです。山陽新幹線に乗り入れて新大阪駅まで直通する列車の名前は「さくら」となる予定です。「つばめ」の歴史を考えれば、東京駅まで直通して欲しいと思う方もいらっしゃるかもしれません。
―― つばめギャラリー ――
東京ヤクルトスワローズの「Swallows」のロゴは国鉄がデザインしたもので、60年以上経過した現在でも使われており、多くのファンから親しまれています。そこで、今に続く「つばめ」の伝統を振り返るべく、最後に、つばめギャラリーで締めさせていただきます。
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国鉄 蒸気機関車 C62形 2号機
全部で49台あったC62形のうち、デフレクターにつばめマークが入れられていたのは、2号機と、18号機の2両だけです。この2両にはぞれぞれ愛称があり、2号機は「スワローエンゼル」、18号機は「下がりつばめ」などと呼ばれていました。この写真の2号機は、
ワールド工芸からリリースされたキットのパッケージです。
C62形はD51形と並び有名かつ人気のある蒸気機関車の一つですので、鉄道模型のほかプラモ(ミリタリー)にも商品がございます。キーワード「
C62 」で検索してみてください。
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国鉄バス
こちらの写真はTOMYTEC(トミーテック)のザ・バスコレクションシリーズの国鉄バスです。
国鉄バスではシンボルマークとしてつばめマークを車体に入れていました。
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ジェイアールバス(JRバス)
この写真は
ONE-MILE(ワンマイル)のジェイアールバス関東 高速バスです。国鉄バスとは少々イラストが異なりますが、現在でもジェイアールバス各社ではカラーリングは異なっても、車体のどこかにつばめマークを記すことで継承しています。
検索する際には、キーワードを「
JR バス」または「
ジェイアール バス」でどうぞ。鉄道模型のほか、カーモデル、ラジコン、ミニカーのジャンルにもジェイアールバスはございます。
※JRグループに属する子会社はJRをアルファベットではなくカタカナで「ジェイアール」と表記するのが正しいようです。
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787系「リレーつばめ」
KATOの787系「リレーつばめ」です。「つばめ」用に設計された787系には、もちろんつばめマークが車体側面に描かれています。でも、非常にさりげない感じですね。検索する際は、「
787系 」でどうぞ。
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九州新幹線 800系 「つばめ」
KATOの九州新幹線 800系 「つばめ」です。この車体のどこにつばめがいるのかと思って、目を凝らしてみると、全車両の車体側面中央と、先頭車の先頭部に、それぞれ小さくつばめのシルエットが描かれています。検索するときは「
800系 つばめ 」でどうぞ。
それではまた次回。
担当:カピの塚@文字が多くて縦に長い?ごめんねごめんね~!
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