こんばんは、
カピの塚です。
今回は駅舎探訪と題しまして、
ちょっと気になる駅のお話をいたしましょう。
▲古めかしいガーダー橋を渡るE231系電車
今回はホビーサーチスタッフもよく利用する総武線で、浅草橋駅から東へ1駅。
隅田川を渡ってわりとすぐのところにある、両国駅です。
▲ターミナル駅の風格を今に伝える駅舎
両国駅といえば総武線の各駅停車のみが発着する駅ですが、
ご覧の通り西口には非常に立派な駅舎が構えています。
これは1929(昭和4)年に建てられた二代目の駅舎です。
初代の駅舎は関東大震災で焼失してしまい、
二代目として建設された駅舎が現在まで使われています。
アーチ状の窓の並びなど洋風建築のデザインが随所に見られます。
当時流行だったのでしょうか。
両国駅は1904(明治37)年に総武鉄道の駅として開業。
当時は両国橋駅という名前でした。
この頃は東武鉄道も両国橋駅まで乗り入れを行っていたので、
両国駅は房総方面と北関東方面の列車が発着するターミナル駅だったのです。
総武鉄道が国有化され国鉄総武本線となったあとは、
東武鉄道の乗り入れは無くなってしまいましたが、
東京の“東の玄関口”としてとしてにぎわったそうです。
▲駅舎の裏側にも風格がある
両国駅には駅舎の裏手側に頭端式(行き止まり式)の
列車線ホームがあります。
現在は3番線しか残っていませんが、二代目駅舎が完成した頃、
頭端式の列車線ホームは2面あり、線路が4線敷かれていたそうです。
総武本線は、1932(昭和7年)に隅田川を渡り御茶ノ水駅まで延伸。
両国駅~御茶ノ水駅間の折り返し電車が走るようになると、
両国駅は房総方面の列車と御茶ノ水方面の電車との乗り換えでにぎわうようになりました。
この頃、現在の総武線各駅停車が発着する高架の1・2番線ホームが作られたのです。
つまり、高架の1・2番線の電車線ホームと合わせると、
旅客用のホームは最大で6番線まであったわけですね。
▲3番線(列車線ホーム)を見下ろしてみる。
国土交通省と国土地理院の航空写真のアーカイブや、
当時の両国駅の写真を掲載しているサイトなどを調べてみますと、
4番線と5番線の間には機回し線(※)もあったようです。
※機回し線:
機関車を列車の前後反対側へ回り込ませるための線路。
行き止まり式の駅では、機関車を客車の反対側に繋ぎ変えなくては
バック以外で折り返せませんので、機回し線が必要になります。
さらに、北側、現在の江戸東京博物館や両国国技館が建っているあたりには
客車や貨車を留置しておくための側線が5本ほどあり、
さらに貨物の取扱所もあり、実質的に貨物駅も兼ねていました。
最盛期の両国駅は今とは想像もつかないほど巨大な駅だったことがわかります。
▲列車線ホームの背後には江戸東京博物館が見える。
先述のとおり、列車線ホームは房総方面への列車の始発用に使われていました。
1930年代~1950年代は一時的に両国駅折り返し列車が少なくなる時代もありましたが、
その後、1980年代までは特急列車、準急列車、急行列車、夏には海水浴客向けの臨時列車などが発着し、
列車線ホームとして活気づいていたわけです。
しかし1972(昭和47)年に大きな転機を迎えます。
この年、総武本線の複々線化が完成し、各駅停車と快速が完全に分離されたのですが、
総武快速線は両国駅手前で地下にもぐり、東京駅で横須賀線と直通運転されるようになりました。
これにともなって両国駅は総武快速線の通過駅となったため、
基本的に各駅停車しか停まらなくなりました。
貨物の取り扱い機能は近隣の越中島駅などに移転していましたし、
ダイヤ改正で房総方面の急行列車の廃止され、
しばらく残った房総方面の特急も両国駅発着の設定がなくなり、
東京駅発着、ならびに京葉線経由に変更されるものが出ますと、
もはやターミナル駅としての役割は終わり、単なる途中駅となってしまいました。
▲普段使われることのない3番線ホームは資材置き場のようになっている。
2000(平成12)年に都営地下鉄大江戸線が開業した際に両国駅が設置されたので、
大江戸線と総武線各駅停車の乗換駅としての機能が付加されましたが、
列車線ホームを使う電車は臨時列車の他には殆ど無いため整理されることとなり、
4~5番線ホームだったあたりは保線車両を留置しておく場所とし、
その結果、列車線ホームとして残ったのが3番線だけだったのです。
2010(平成22)年3月までは3番線には毎日午後に新聞輸送列車が発着していましたが、
この新聞輸送列車が廃止されたことで定期的に3番線を使うことは無くなりました。
列車線ホームへつながる通路は普段はシャッターが閉まっていて立ち入ることはできません。
現在はたまに両国駅始発・終着の団体専用列車が運転されることがあります。
このような列車は間違いなく3番線を使いますから、
滅多に入れない両国駅列車線ホームに行けるチャンスともいえます。
●オマケ(1):謎の階段
総武線各駅停車の1・2番線ホーム(=電車線ホーム)にも謎がありまして、
浅草橋駅寄りに使われていない階段があります。
上り下りの案内はぶら下がっていますが、
広告も出口の案内もなく、よくわからないパイプが通っていたり、
階段を下りた先にエアコンの室外機のようなものが鎮座していたり、
妙に廃墟チックな雰囲気を醸し出しています。
かつては混雑時に使われていた臨時階段らしいのですが、
どうも改札口に直結していない構造のようで営業的に使いにくそうです。
そして、この階段を下りた先には、短時間でヘアカットしてもらえるお店
(看板を見て“キュウべえの家”として妄想したことは内緒だ)
があり、通り抜けできるかどうかも不明ですから、
非常階段程度に思っておけばよさそうです。
両国駅は全体的にトワイライトゾ~ンと化しているようです。
●オマケ(2):列車線と電車線
両国駅の場合、1・2番線を
電車線ホーム、
3~6番線を
列車線ホームと区別して呼びますが、
これには意味があります。
ここでは「電車線」とは総武線各駅停車のことで、
大昔の日本では「電車」とは“短区間を行ったり来たりする乗り物”という意味が含まれていました。
電化区間が少なかった時代は、電車を使って頻繁に往復運転が行われていたのです。
そして「列車線」とは総武快速線および総武本線のことを指しますが、
大昔の日本では「列車」とは“長距離を走る乗り物”を指す用語でもありました。
主に機関車と客車によって編成された列車がそれに使われていたのです。
顔ぶれをわかりやすく分類すると次のような感じです。
★「列車線」を走る(走った)鉄道車両の例
C57 |
C58 |
D51 |
60系客車 |
総武線の機関車を管轄する新小岩機関区にはC57、C58、D51が所属していました。C57とC58は60系などの客車列車を、D51とC58は貨物列車を牽引していました。 |
キハ55系 |
キハ58系 |
153系 |
165系 |
急行列車にはキハ55系、キハ58系といった気動車や、153系・165系電車が使われていました。もちろん急行に限らず、海水浴臨時列車や成田山への初詣臨時列車なども。 |
113系 |
E217系 |
|
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総武快速線の主と言えばかつては113系、そして今はE217系。 |
183系 |
253系 |
255系 |
E259系 |
特急列車になるとかつては183系が両国駅に乗り入れていましたが、定期列車で特急車両が乗り入れるのは183系が最後でしょう。総武線を走る特急車両には253系やE259系の成田エクスプレスもありますが、両国駅を発着することはまず無いからです。 |
★「電車線」を走る(走った)鉄道車両の例
73系 |
101系 |
103系 |
201系 |
茶色の旧型電車の時代から、101系に始まるカナリアイエローの電車へ。総武線といえば黄色というイメージが強いですものね。 |
205系 |
209系 |
E231系 |
E231系 |
電車線の電車も世代交代が進んで209系とE231系が現在の主役となっています。ちなみに、青帯のE231系800番台は地下鉄東西線に乗り入れるための車両ですが、両国駅付近にはやってきません。 |
要するに運転方法や運転区間によって「列車」と「電車」を使い分けていたわけです。
電化区間が広がり、電車線も列車線もどちらも電車で運転されるようになった現在では、
「列車線と電車線」という呼び分けすると場合によっては矛盾が生じるため、
「快速線と緩行線」や「快速と各停」などと呼ぶようになります。
これを踏まえますと、1・2番線は電車線ホーム=総武線各駅停車専用ホームで、
3~6番線は列車線ホーム=総武線長距離列車用ホームということになります。
・・・と、長くなりましたが。
歴史を紐解くと両国駅はまさに「栄枯盛衰」。
駅前広場は四角く広めに作られているのですが、
都営バスは駅前広場手前のバス停を発着(都電時代の名残?)のため、
現在はほぼタクシーのみが乗り入れるロータリーとなっています。
ロータリーの中央部分はコインパーキングとして使われていて、
活気が感じられないのも両国駅らしいところでしょうか。
かつての栄光を今に伝える駅舎を見ると、
どんどん変わる時代の流れの速さに恐ろしさを感じてしまいます。
国技館と博物館の玄関駅として新たな日々を送る駅舎に
エールを送って今回の駅舎探訪を〆たいと思います。
担当:カピの塚@模型の世界の総武線なら、C57牽引の客レとE259系NEXの並びも可能ですね。
★参考資料
・
国土情報ウェブマッピングシステム(国土交通省)
・
国土変遷アーカイブ 空中写真閲覧システム (国土地理院)