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TOMYTEC新製品説明会の会場で展示されていたサンプルのうち、
いくつか気になったものをピックアップしてご紹介いたします。
今回は、鉄道コレクションの旧型国電4種類です。
非常に個性的な電車が発売となります。
★ 52系
1930年代、関西地区では国有鉄道(←国鉄←JR西日本)と並行する私鉄各社との、熾烈な争いが始まっていました。「(街に)近い」「速い」「安い」を売りにする私鉄各社に対抗するため、当時の国有鉄道は汽車による快速運転を始めますが、主要区間が電化されると“急行電車”(関西急電)という停車駅の少ない電車を運転して対抗することとなりました。そして、1930年代半ばに新型電車の52系を用意。
52系電車は当時世界的に流行していた「流線形」を車体のデザインに取り入れたことが特筆されます。白(クリーム)と茶色(マルーン)の2色を用いた複雑な塗装や床下の大半を覆うスカートなど、当時の日本では非常に珍しい電車となっていました。一部の区間では特急「燕」よりも所要時間が短い速さで運転され、華々しい活躍をしていました。流線型電車を略したのだと思いますが、52系は次第に「流電」と呼ばれるようになりました。
しかしながら、戦時体制になると急行電車の運転取りやめ、塗装の簡略化、スカートの撤去、二等車の三等車へ格下げ、短編成化など、それまでとは状況が一変してしまいました。戦後、80系電車が登場すると52系は阪和線へ転属し特急電車として使われました。次第に阪和線の混雑が著しくなると、飯田線へ転属となったわけです。
前置きが長くなりましたが、ここから模型のお話に少しずつ切り替わります。
●鉄道コレクション 国鉄52系1次車 飯田線(飯田線快速色)
飯田線はもともと4つの私鉄を吸収合併したこともあって駅数が多いローカル線です。路線距離も長く、各駅停車で全線乗り通すと現在でも片道6時間を要するという、乗り鉄冥利に尽きるのですが…。1950年代より52系を使った快速列車を運転することになりました。そこで、52系にはオレンジ+ダークブルーの2色を使った「飯田線快速色」というカラーリングが施されました。それでは、その飯田線快速色のサンプルをご覧ください。
クモハ52形+クハ47形+クハ47形+クモハ52形の4両セットです。
先頭のクモハ52形といえばもちろんこの流線型の先頭部がポイントです。
1930年代の流線型ブームを受けたデザインをご堪能ください。
※サンプル品は片方のテールライトが欠落している可能性があります。(2012/03/27追記)
1次車の側面は42系と同様の窓割りとなっていたため、幅の狭い窓が並んでいます。
2次車から設計変更となり窓の幅が広くなり、より優雅なスタイルになったので、これは1次車だけの特徴となります。
先頭部分を4方向から撮影してみました。
独特な形状と共に、80系をモチーフにしたであろう金太郎塗りも綺麗に再現されています。
鉄コレなのでライト類は点灯しませんが、クリア部品が使われていて実感的です。
中間に連結されているクハ47形100番台です。もともとは42系クハ58形として作られた電車なのですが称号改正(要するに国鉄の番号整理)の関係でクハ47形に編入となり、100番台の番号を与えられた…という経緯があります。よってオリジナルのクハ47形とは形態が異なります。飯田線では52系とコンビを組むことになりました。
こちらもヘッドライトにクリア部品が入っているため、リアルなヘッドライトになっています。
もちろん点灯はしませんが、良い感じです。
クハ47形100番台の妻面です。
貫通扉は車体とは違う色になっています。
左側、白い文字が見えますでしょうか。
これは換算標記や検査標記ですが、印刷済みとなっています。実に細かい。
なお、貫通扉右側に窓がありませんが、これはトイレが設置されたためです。
オレンジ+ダークブルーの塗り分けなのですが、
ダークブルーの部分は写真ではダークグリーンのように写っています。
私の目でもグリーンっぽいブルーだなという印象でした。
湘南色っぽい色に見えてしまいますが、これは飯田線快速色です。
ご予約は下記のリンク先よりどうぞ。
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鉄道コレクション 国鉄52系1次車 飯田線(飯田線快速色) (4両セット)
飯田線での52系は、飯田線快速色のあと、一時湘南色に塗り替えられた時期を経て、最終的には横須賀色に塗り替えられました。
●鉄道コレクション 国鉄52系1次車 飯田線(横須賀色)
鉄道コレクションでは飯田線快速色の他に、横須賀色仕様も発売されます。
時代設定としては1970年代で、末期の姿となります。
52系の中では最近の姿(それでも今から40年以上前なのですが)となり、なじみ深い方も多いのではないでしょうか。
全国的に旧型国電が数を減らしていた1970年代、飯田線には数多くの旧型国電が残っていましたし、この52系を含めて旧型国電を追いかけていた方には懐かしいものかと思います。
横須賀色も先頭部を各方向から撮影してみました。
流線型の再現度、そして塗装。いかがでしょうか。
先ほどの飯田線快速色の時代と異なり、テールライトが2個になっているのも注目点です。
単なる色替えというわけではないのです。(2012/03/27訂正)
塗装変更というのはデザイン上なかなか難しいものと思います。
独特な流線型の車体に横須賀色を塗るというのは、当時の国鉄の方は苦労したのではないでしょうか。
正面の中央に縦にブルーを一本塗ったのはある意味秀逸だと個人的には思います。
クモハ52形の側面です。
先ほども説明した通り、42系と同様の狭幅の窓がずらーっと並んでいるのが1次車の特徴です。
車番の標記だけでなく、コックの位置を示す下三角の印も印刷されていますね。
中間に連結されるサハ48形です。側面窓は狭幅窓となっています。
今回セットに含まれるサハ48021、サハ48024は共に旧32系のサハ48形として作られたものです。
横須賀線のほか東北線・高崎線などを転々とした末に飯田線に配属され、52系とコンビを組むこととなりました。
連結相手のクモハ52形1次車も狭幅窓でしたので、編成全体では整った外観になりました。
写真左と中央はサハ48形の妻面です。
中央の写真はトイレが設置されている側で、貫通扉の左側は窓が無し、右側はちょっと変則的な形の窓枠になっているのが特徴です。
そして写真右はクモハ52形の妻面です。
妻面上部ならびに屋根のカーブのデザインがサハ48形とクモハ52形で違うのがお分かりでしょうか。
デザインが違っていても、一緒に連結されているところが旧型国電の面白さでしょうか。
狭幅窓が特徴のクモハ52形1次車とサハ48形による編成を再現した鉄コレ52系1次車飯田線横須賀色は、
ご予約は下記のリンク先よりどうぞ。
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鉄道コレクション 国鉄52系1次車 飯田線(横須賀色) (4両セット)
余談ですが、52系がデビュー当初纏っていた白(クリーム)と茶色(マルーン)のカラーリングは一旦消滅しますが、1980年代に登場した117系にて復活しています。国鉄の分割民営化後、JR西日本は221系、223系、そして最新鋭の225系と新型車を続々と投入していますが、これらの電車の帯を良く見ると、白(クリーム)と茶色(マルーン)の2色がありますね。
52系“関西急電”のDNAは、21世紀になっても225系“新快速”として受け継がれているのです。
話は変わりまして、72系電車の話題に移ります。
★ 72系アコモ改造車
モハ72形・クモハ73形などを中心とした通勤型電車のグループを72系と総称しています。
もともと63形(ロクサン型)という名前の電車でした。これは、戦争中に設計された電車だったので、戦争中でも入手できる限られた材料で作られていました。とりあえず人を載せて走れば良い、戦争中はこれで乗り切ろう、という思想の元に誕生しました。しかし戦後に京浜線桜木町駅で大規模な火災事故が発生し、多くの死傷者が出て大問題となりました。国鉄は安全基準を満たした電車にリフォームすることが急務となったわけですが、そのリフォーム後の電車が72系です。
まずは車体を木造から鋼製に切り替えることからリフォームはスタートします。燃えにくい素材を使って、安全で丈夫な電車に…。
しかし、72系は大量生産された電車だったので、全部の電車を順次リフォームしていくにはそれなりに時間がかかりました。
少しずつリフォームを進めていくと、担当工場の違い、技術向上、新機能の搭載など、新しい要素が加わって少しずつ仕様が変わっていったのです。
72系の文献やインターネットなどで写真を見ていくとわかりますが、
動物の進化の過程よろしく、だんだんと近代的なデザインになっていきます。
いよいよ101系のご先祖様みたいな風貌の72系が出現し…。
ついに仙石線に配属されたのがこちら。
●鉄道コレクション 国鉄72系 仙石線アコモ改造車(ウグイス+警戒色)
これが72系の最終形態、仙石線アコモ改造車です。
アコモとはアコモデーションの略語。
ご覧の通り、どう見ても103系ソックリです。
国鉄郡山工場では、足回りはそのままに、当時最新型電車だった103系高運転台車とほぼ同じ車体を作って、載せ替えるという手法に打って出たのです。
(某車両メーカーに外注したらしいという情報あり)
先頭車のクハ79形600番台の顔をアップにしました。
103系先頭車クハ103形高運転台車とうり二つ。
写真がピンボケしてしましましたが、側面の様子をご覧ください。
運転室のドア後ろは戸袋窓があったはずなのですが、当時の仙石線は信号保安の方式がタブレット(通行票)を授受する方式でしたので、窓ガラス破損防止のため鉄板を取り付けて塞いであります。その鉄板も左右で大きさが違うんですね。
サンプルをご覧の通り、その鉄板を打ち付けてあるリベットも再現されています。
また、寒い地域ではお馴染みの、ドアを手動で開ける時の取っ手と手掛けも再現されていますね。
お顔拝見。
視認性向上の為、黄色の警戒帯を塗っていますが、うぐいす色といえば山手線。当時の山手線とよく似ています。方向幕を見れば「特別快速 石巻」ですから、やっぱり仙石線だなーとわかるわけです。
いくらそっくりに作られた電車とはいえ、本家103系とは細部が異なります。無線アンテナが無い、連結器脇のジャンパ栓の位置が異なる、旧型国電の分厚い台枠を使っているため車体裾が長いなどの特徴があります。いくつかは顔からでも違いがお分かりいただけると思います。
また、テールライトの斜め上には、後部反射板をひっかけるフックがうっすらとモールドされています。
これは、仙石線の電車は検査を行う郡山工場への回送は機関車に牽引されてるため、一番後ろの車両には後部反射板を取り付けなくてはならないのです。
このフックが表現されているところも注目ポイントですね。
先頭車・クハ79形600番台の屋根。
中間車・モハ72形970番台の屋根。
本家103系の高運転台車はクーラーを屋根に載せていましたが、さすがに72系にはアコモ改造車とはいえクーラーはありません。それでも、103系の非冷房車となんら変わらない屋根です。
中間車・モハ72形970番台の側面です。
ユニットサッシの窓、両開きのドア、近代的なデザインはパッと見で103系そのものです。
側面から見分けが付くのは台車が旧式であることや、クーラーが載っていないこと、ドアに取っ手と手掛けがあることなどくらいでしょうか。
そしてモハ72形970番台の妻面。
側面方向幕が設置されていないところが103系との違いのひとつでしょうか。
103系とよく似た電車ですが、103系とは違う細かいところがぎっしりの72系アコモ改造車、鉄道コレクションでも充分再現されていると思います。
本日入荷しました。下記のページよりご注文をお待ちしております。
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鉄道コレクション 国鉄72系 仙石線アコモ改造車(ウグイス+警戒色) (4両セット)
続いて。
●鉄道コレクション 国鉄72系 仙石線アコモ改造車(スカイブルー)
仙石線に本物の103系(初期車)が転属してきました。
車体色は京浜東北線や阪和線と同じスカイブルーで、そのまま仙石線のラインカラーはスカイブルーとなります。
103系モドキの72系アコモ改造車も車体色の変更が行われ、103系とお揃いのスカイブルーに装いを改めました。
鉄道コレクションでは、スカイブルーに塗り替えられたあとの姿も再現。
基本的には色違いのみですので詳しいお話は省略いたします。
運行番号、行先方向幕(「石巻⇔仙台」になっている)、運転席の窓に於いてある車番の札が異なるという点は注目しておいてください。
先頭車・クハ79形600番台の屋根。
中間車・モハ72形970番台の屋根。
中間車・モハ72形970番台の側面です。
モハ72形970番台の妻面。
先ほどもそうですが、貫通扉と車体の色が違うという点も細かいですね。
車体隅に書かれている所属標記の電略は「仙リハ」で、国鉄仙台鉄道管理局陸前原ノ町電車区を示しています。
本家の103系が仙石線に配備されるようになってスカイブルーに塗り替えられた72系アコモ改造車でした。
こちらの鉄道コレクションも本日入荷しています。
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鉄道コレクション 国鉄72系 仙石線アコモ改造車(スカイブルー) (4両セット)
足回りは旧型電車だったのに、見た目は最新鋭の山手線や京浜東北線と同じという矛盾のある電車。
当時の仙石線沿線の人たちにはどんな印象を与えたのでしょう。
仙石線にそんな伝説を残した72系アコモ改造車は、その後103系に置き換えられ、仙石線から去っていきました。
しかし、廃車するには(せっかく新しく作った車体が)もったいない!
財政状態が厳しい国鉄は妙案を思いつきます。
「そうだ、足回りの部品を交換しようぜ。」
72系アコモ改造車は、103系と同じ足回りに交換する改造を実施。
103系3000番台という形式名を与えられ、本家103系の仲間入りを果たすのでした。
この103系3000番台が2005年まで川越線・八高線で大活躍していたのは記憶に新しいところ。
偽物が本物に生まれ変わる。先輩が後輩になる。もはやミラクルファンタジーですね。
担当:カピの塚@実は仙石線のNゲージ集めてます。