●フランスのプジョーを取り巻く状況の中で、エミール・ダルマットは元々小型車のチューニングで知られていた。
●彼は市販モデルを改造してファンを楽しませていた。
●その後、1937年からル・マン24時間レースで競技車に参入したことで知られるようになった。
●そして成功を収めたレースカーの少量生産版を302/402DSの名称で公道走行可能なバージョンとして販売した。

●第二次大戦後、プジョーは全く新しいタイプ203を開発、発表した。
●ダルマットはフランス人の好みは戦前デザインの202より、203になるだろうとすぐに気づいた。
●その観点は的確であった。なぜならタイプ203が1948年10月の生産開始当初からフランス人の心を魅了したことが明らかになったからである。

●彼の改造は、スタンダードな細かい目のフロントグリルを新しいものに交換しようと決めた、新しいグリルは目が粗くなりアメリカ風となり、目立つ変化ではなかったが、ボディを7センチ低くした。
●技術的に簡単ではあるが、見た目には非常に効果的だったのは後輪がボディでカバーされている点だった。
●このスタイルは当時の高価な高級車によく見られたデザインで203にラグジュアリー感を与えた。
●コンバーチブルにしたことでクローズバージョンよりもこのエスプリの効いたモデルに優れたニュアンスを添えた。
●標準モデルと比較して「ちょっと上の」203の立場を協調するためエンジンの出力を45hpから80hpに増やし、2台目のキャブレタ-を取り付けることでこの印象的なパフォーマンスの向上が可能になった。そして運転の有用性も大幅に向上した。
●この203特別バージョンは1948年10月から自動車販売店「ダルマット」で製造された。
●1970年、ダルマットは78歳で亡くなった。