終戦まで戦い抜いた老兵の話

プラモデル
トメ子
終戦まで戦い抜いた老兵の話
金曜日になると元気になるトメ子です。ごきげんよう。
ふと。ブログ始まって以来、私の記事を読み返してみると

おっぱいだの何だのと騒がしいアホタレに見えたので

たまには男前なネタでも取り上げることにします。


その昔。旧日本海軍の艦船は命名に規則がありました。

■戦艦なら国(昔の地名)の名前。
例:大和、武蔵、陸奥、伊勢、日向など

■駆逐艦なら天気・季節の名前
例:雪風、秋月、初春、朝潮、夕雲など

■重巡洋艦(所謂、一等巡洋艦)なら山の名前。
例:古鷹、青葉、妙高、高雄、最上など

■軽巡洋艦(所謂、二等巡洋艦)なら川の名前
例:天龍、阿賀野、長良、川内、夕張など

■空母は一概に申し上げられませんが
どうも龍や鳥など空にちなんだものが多いようです。
例:翔鶴、雲龍、大鷹など

こうしてみると中々粋なネーミングセンスですね。
外国の船も面白いネーミングですので、機会があればご紹介しましょう。

そんなわけで今日のお題はこちら。

日本海軍高速戦艦 榛名

榛名

名前の由来は群馬県の榛名山です。が、船の種類は「戦艦」です。
山の名前を持つのは、計画段階では巡洋艦として建造される予定だったからだそうで。

計画途中の変更で艦種が変わることはあれど、名前はそのまま残るというケースは他にもあります。
信濃@空母も本来は戦艦として作られる筈だったと聞き及びますし。

「榛名」の同型艦には「金剛」「比叡」「霧島」などがありますが、
これらも全部山の名前です。比叡山なんて延暦寺の僧兵で有名ですね。


この「榛名」は建造時期がかなり古く、なんと1912年起工だそうです。
太平洋戦争どころか第一次世界大戦期の船です。
巡洋艦から戦艦に艦種変更されたのは、丁度大艦巨砲主義(※)が流行っていたからでしょうか。
その頃の船が結果的には太平洋戦争を戦い抜き、最後も終戦による解体という形でしたから、実に感慨深いものがあります。
(とは言え、相当の被弾を受けていたようで、終戦近くになると殆ど戦線に出ることもなかったそうですが)

まさに歴戦の老兵。まさにいぶし銀。
艦船プラモに関しては超弩級素人の私ですが、挑戦してみてもいいかな……と思ったのでした。


※大艦巨砲主義:1900年代初頭から1920年頃まで流行った、ある種の戦艦至上主義。
各国は国威発揚と軍拡を目的として高火力・重装甲を持つ主力戦艦を競って建造しました。
日本では大和、武蔵が特に有名ですね。

ところが。
戦艦競争も第二次世界大戦に入ると航空機の有用性が認識され、
それに伴い空母の重要性が高まることになります。
無論、戦艦自体は決して時代遅れになったわけではなく、対艦用の火力、空母や航空戦力の護衛として十分有用でした。
それでも単独だと航空機に弱く、制空権を得られない状況では脆いという難点があったそうで……。
(大和が沈んだ原因の一つとしてよく挙げられますね)

考えてみれば1900年代の海戦に航空戦力などありませんし、兵器運用の思想でも時代の流れと技術の進歩を感じます。


……等と、垂れ流したウンチクですが
誠に恥ずかしながらトメ子もまだまだ勉強中の身ですので、
キチンとした知識が欲しい方は、ちゃんとした資料がオススメです。

担当:トメ子@人生不発弾
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