こんにちは、カピの塚です。
まずはこちらの写真をどうぞ。

東武伊勢崎線の某駅にて撮影。

東武伊勢崎線の某駅にて撮影。
撮影日時とカメラを向けている方向は異なりますが、
カメラを構えている場所そのものはほぼ同じです。
光線状態がむちゃくちゃな写真で申し訳ありません。
東武線の線路上を、片方は東京メトロ日比谷線の電車、
もう片方は東京メトロ半蔵門線の電車が走っています。
しかし…。地下鉄なのに地上を走っているし、
しかも他社の線路上を複数の地下鉄路線の電車どうしが
並走したり追い抜いたりしているわけで、
よく考えてみれば、不思議なものです。
ここでは日常茶飯事となっていますが。
郊外の私鉄やJR線への乗り入れのおかげで、
東京の地下鉄の守備範囲はずいぶん広くなりました。
そこで、東京の地下鉄網を担う東京メトロ(東京地下鉄)は、
かつては営団地下鉄と呼ばれていましたが、
そんな東京の地下鉄を振り返ってみましょうか。
★世界初の地下鉄はロンドン先に触れておかねばならないのは、世界初の地下鉄。
イギリスのロンドンにおいて、世界で初めての地下鉄が開業。
1863年1月のことで、当初は蒸気機関車が客車を牽いていたそうです。
地下なのに煙モクモクって今では考えられません。
その頃の日本は文久3年。まだ江戸時代です。
日本の鉄道はもともとイギリスの鉄道をお手本にしているため、
システム的にはイギリスの鉄道に近い面が多いです。
同様にして地下鉄もイギリスがお手本となったのですね。
※ちなみに地下鉄は、イギリス英語では「アンダーグラウンド」または「チューブ」、
アメリカ英語では「サブウェイ」、フランスなどの非英語圏では「メトロ」、
中国語圏では「地鐵」もしくは「地下鐵路」などと呼ばれています。
★日本初の地下鉄は民間人の手で開通日本で初めての地下鉄は1927年(昭和2年)の年末。
東京地下鉄道・浅草~上野間が開業。
民間人の早川徳次(はやかわのりつぐ)によって、
設立、免許申請、建設、開業に至りました。
後に上野から先は新橋まで延長されました。
この区間は、現在の東京メトロ銀座線の一部(東側半分)です。
※シャープの創業者・早川徳次(はやかわとくじ)とは別人です。
偶然にも漢字が同じですが。
★東洋唯一の地下鉄道当時のポスターには“東洋唯一の地下鉄道”と書かれていました。
日本初の地下鉄は、東洋初であり、アジア初でもあったのです。
それにしても、Googleの検索窓で「東洋唯一」まで入力すると、
入力候補に「東洋唯一の地下鉄道」と出てくるところが凄い。
★ゆとりある通勤を目指して早川は1914年に欧州訪問をした際にロンドンの地下鉄を知り、
東京にも地下鉄が必要だと悟ったのでした。
グラスゴーには座席定員+αという乗車制限のある鉄道があり、
このようなゆとりある通勤が理想の姿だと感じたようです。
※当時の東京は、ぎゅうぎゅうの路面電車で通勤する人々で溢れかえっており、
地上の交通には限界が来ていると気づいていたのです。
★長めのホームを設置そこで早川は地下鉄でゆとりある通勤をしてもらえるようにと、
開業当初は1両編成の電車にもかかわらず、
いきなり6両分の長さのホームを建設します。
将来乗客が増えて電車を連結しても余裕ができるように、
との配慮でした。
※しかし現在の銀座線は6両編成でぎゅうぎゅうですから、
当時の想定を大幅に超える利用客数となっています。
★高品質の電車を用意乗客の安全を第一に考えていた早川は高品質の電車を用意しました。
まず、鉄道車両の車体は木造が当たり前だったこの時代に、
全鋼製とし、内装にも燃え難い素材を使いました。
また、ATS(自動列車停止装置)を装備して、追突事故を防止。
※現在では当たり前なのですが、これを昭和初期に始めていたのですから、
技術的にもサービス的にも時代の先端を進んでいることが伺えます。
車内に設置されたつり革はリコ式と呼ばれる構造のもので、
常時跳ね上がっており掴んで使うときだけ下がる仕組み。
そのため天井は広々としていました。
さらに車内の照明は間接照明として、目に優しい空間を実現。
なんとも高級感のある通勤電車なのでしょう。
※地下鉄博物館に当時の電車が1両まるごと展示されております。
★自動改札を設置開業当時の東京地下鉄道では運賃は10銭均一でした。
駅には10銭玉を投入すると十字型の回転腕木が回って
一人分だけ通ることができる仕組みの自動改札が設置されていました。
地下鉄博物館にレプリカがありますが、この時代に自動改札ってハイテクです。
※なお、この頃の食パン1斤=約17銭、銀行員の初任給=約70円という相場。
現在の貨幣価値に換算すると初乗り運賃は200円前後くらいでしょうか。
東京メトロの初乗りは160円なのでちょっと高いかもですね。
★ネーミングライツ(命名権)の利用東京メトロ銀座線には「三越前」という百貨店の名前が付いた駅があります。
これも早川のアイディアで、駅の建設費を百貨店に負担してもらい、
その代わりに駅名に百貨店名を入れたり百貨店と駅を直結させるという、
契約を交わしたとのこと。この駅の開業は1932年(昭和7年)ですから、
今ではよく耳にする命名権を昭和初期に実践した人がいたことに驚きです。
※ちなみに、銀座線に百貨店と直結した駅が多いことと、
車内放送で駅名と一緒に百貨店名が読み上げられるのは
これとほぼ同様の理由です。
★エキナカ事業に着手東京地下鉄道では、電車の運行だけでなく、
副収入で経営を支えるため、いろいろなサービスを行ないました。
その一例が、浅草や上野などの駅に隣接して「地下鉄ストアー」や
「地下鉄食堂」といった施設のオープン。
さらに駅売店では定期券利用客限定の夕刊サービスなども展開。
今で言うところのエキナカ事業は1929年に既に始まっていました。
※ちなみに、銀座線神田駅に隣接して
「神田須田町地下鉄ストア」が今も健在。
1931年から続く日本で一番古い地下街です。
★乗り入れ構想東京地下鉄道には郊外の鉄道と直通電車を走らせる構想がありました。
乗り入れを予定していたのは京浜電気鉄道という私鉄で現在の
京急本線です。
東京地下鉄道と京浜電気鉄道を結ぶための「京浜地下鉄道」という会社を
設立しました。
この関係で、東京地下鉄道の電車と規格が極めて近い電車が京急にも在籍
していました。
残念ながら諸事情により京浜地下鉄道も乗り入れも実現しませんでした。
歴史にIfは…とはよく言いますが、もし実現していたとしたら、
浅草~上野~新橋~品川というルートになっており、
上野や浅草を発着する京急の電車が見られていたかもしれないのです。
※現在は都営浅草線と京急が直通しているので、
上野は通りませんが似たルートは実現していることになります。
というわけで、路線図を作ってみました。

1939年夏頃の東京市をイメージして作成してみました。
多少、間違っているところがあるかもしれませんが、
このような路線図になっていたと思われます。
京浜地下鉄道は幻で終わった地下鉄なので点線にしてあります。
万世橋は仮設で1931年に廃止されましたので薄い色にしてあります。
色分けの基準は適当ですが、
東京地下鉄道は黄色or朱色の車体だったので現在の銀座線に合わせてオレンジに。
京浜地下鉄道は京急系になっていたはずなので赤にしてみました。
そして、渋谷から新橋に向かってきた謎の地下鉄こと東京高速鉄道については、
話が長くなりますのでまた機会があればお話しましょう。
このようにして日本の地下鉄は始まっていきました。
現在の東京は、東京メトロが9路線、東京都交通局が4路線の
合計13路線となり、まさに網の目。
ロンドン、ニューヨークに次いで世界第3位の地下鉄網となっています。
(近々、上海に抜かれて第4位になってしまうようです…。)
さて、地下鉄の鉄道模型はといいますと、沢山あります。
最近の入荷品をご案内しますと…。
・
東京メトロ10000系 (基本・4両編成セット) (動力車付) (鉄道模型) 【GREENMAX】

・
東京メトロ7000系 後期型 冷房車 (基本・6両セット) (鉄道模型) 【MICRO ACE】

また、現在予約受付中の地下鉄というと、
・
営団03系 日比谷線 (8両セット) (鉄道模型) 【MICRO ACE】

・
東京メトロ 半蔵門線 & 日比谷線 ダブルセット (鉄道模型) 【タカラトミー】・
東京メトロ 南北線 & 千代田線 ダブルセット (鉄道模型) 【タカラトミー】などがあります。
その他、「営団」「メトロ」「都営」「市営」「地下鉄」「交通局」などのキーワードを使って
検索するといろんな地下鉄が出てきますので、ぜひ探してみて下さい。
担当:カピの塚@メトロに乗って月島十六夜訪問