人生スキマ産業。
ごきげんよう、トメ子です。
本日はウケるウケないも、売れる売れないも抜きにした、個人的趣味丸出しのチョイスでこちらを紹介。
心はいつも全裸です。正直と言って下さい。
・
ハイ・スタンダード情景 軍艦島(端島)
軍艦島……長崎県長崎市にある無人島です。
戦艦「土佐」にシルエットが似ていたことから、俗称の「軍艦島」で知られていますが、正式名称は端島(はしま)と言います。
文字通り、端っこの島という意味です。
判りやすいですが、ちょっとアレなネーミングですね。ド田舎呼ばわりしているみたいで。
名前の由来で、「太平洋戦争中に軍艦と誤認されて米軍の砲撃を受けたから……(以下略)」という俗説もありますが、これはさすがに嘘のようです。
さて、この端島。端っこのくせに良質の石炭を産出することから、明治時代より鉱山の島として栄えます。
九州には八幡製鉄所もありましたし、丁度いい立地条件だったようです。
ですが、エネルギーの需要が石炭から石油に変わっていく中、1974年に閉山が決定。存在意義を失った島は無人島となり、今に至ります。
昨今では廃墟ブーム、工場(?)ブームといった流れや、「軍艦島」というちょっと特異な名称からスポットを浴びることもあり、意外と知られているような、いないようなといった感じでしょうか。
軍艦島の心臓部、炭鉱関連設備。住民の何割がここで働いていたのでしょうか。
パカッと取り外して、地下のトンネルを観察できます。
しかし数年前の台風によって今では大破してしまったと聞きます。
左側の白い建物が学校です。右側の3階建てっぽいのが病院だった……気がします(うろ覚え)。
外を見れば海が広がっている、と思うとちょっと素敵。あ、でも毎日眺めていると逆にうんざりするかしらん。
学校の建物と言えば大抵の人は4階建て程度を連想すると思うのですが、なんとこいつは小学校+中学校の7階建て。
恐ろしいことに、台風の日は学校の外壁にどばーんとぶつかるくらいの波が押し寄せてきたそうです。
……高波が来て、去っていったら子供たちがいなかった。
なーんてことは無かったと思いたい。むしろその為のコンクリート建築でしょうか。
ものっそい密集した建物たち。これだけでご飯三杯イケます。
学校と病院を除くと、大体住民のアパートでしょうか。
至近距離すぎて向かいの家まで飛び移れそう。むしろ、飛び移るやんちゃな人がいそう。
(そしてうっかり落ちる人もいそう)。
この人口密度だとプライバシーもクソも無かったと思います。
何せ、全盛期の人口は5000人超。人口密度にして東京の9倍以上という雑居ぶり。恐るべし。
そうそう。
軍艦島には日本最古(?)のコンクリート建築があります。
写真にある建物をつまんだ指……の下、暗い黄土色の建物がそれです。……多分(やっぱりうろ覚え)。
この30号棟はなんと大正5年(1916年)築。造られてから90年以上も経過しています。
さすがに今では入るのも憚られるくらいボロッボロでしょうけれど、完全に崩れたという話も聞きません。
こうして最新の建築技術が注ぎ込まれていた点を考えると、当時の端島がいかに重要視されていたかが判りますね。
さて。折角なので軍艦島の暮らしについて、知る限りちょこっと触れてみます。
まず、炭鉱労働者たちの給料ですが、そう高いものではありませんでした。
しかしお金の使い道が少ない環境からか、金銭的には比較的豊かな生活を送る人が多かったそうです。
例えば端島では多くの世帯が(当時としては高級品にも関わらず)テレビを所有していました。
閉山後、島に置き去りにされたテレビを狙って、わざわざ本州の人が島に乗り込んでいったという話もあります。
島内の施設ですが、これまた充実しています。
まず、映画館やテニスコート、床屋、雀荘といった娯楽施設は一通り揃っていました。
更に公的機関は病院、学校、寺社(と、いっても宗教・流派問わずの超マルチ聖職者だったらしい)、派出所に加えて、なんと留置所(?)もあったそうです。
ちなみにお葬式だけは端島でなく、近くの中ノ島というところに埋葬されました。
あと大きくはなかったでしょうけれど、屋上遊園地もありました。
滑り台やちょっとした遊具などがあったそうです。実は子供に優しい軍艦島。
一方、軍艦島は高低差の激しい島なので、建物の階段はかなり急なモノだったそうです。
しかも横幅は人がやっとこ通れるレベルという。
そう考えると、子供や若者は兎も角、お年寄りには大変そうな住環境です。
最後に軍艦島の今後についてちょろりとお話しましょう。
島の扱いについては今でも様々な議論が交わされています。
廃墟好きの人からは朽ちていくから良いのであって、人の手が入る保存作業は無粋だよ、という声もあり、
はたまた建築物マニアの人からは日本最古のコンクリート建築として貴重だから残そう、という声もあり。
世界遺産云々の声は、どちらかと言えば後者の立ち位置に近いと思います。
しかし端島は位置的に台風の通り道であり、潮風による鉄の腐食も早い為、崩壊が進む建物を保とうとすれば、どうしても相応の作業が必要になります。
一方。閉山はそう昔のことでもなく、当時の住民も多くが存命中です。
故に破棄された土地だからと言って、(思い出もあるであろう)生活の痕跡を荒らし、見世物にするのはどうか、という声もあります。
今後、正式に文化財として残されていくかどうかは判りませんが、去年ごろから島の一部が観光用に開放されているという話もありますので、気になる方は心の中で「おじゃまします」と言いながら出かけてみると良いかもしれません。
個人的には廃墟の軍艦島も、建造物としての軍艦島も好きなので、
いっそ沖ノ鳥島あたりをガチガチに改造して
軍艦島のレプリカでも作れば、
領土維持的にも観光スポット的にもいいんじゃないかな
と素で思ったりするのですがダメですか、そうですか。
ちなみに商品は1974年、閉山直後の姿を再現しているそうですが、私としては現在の廃墟姿も気になるところです。
むしろ好きに作れるようにプラモで出して貰えると嬉しいのですががが。
プラモ化されたら、エンゲル係数を下げてでも購入を考えそうです。
飾る場所が問題ですけれど。
と、いうわけで。ダラダラと語りましたが、本日はこれにて!
来週もホビーサーチをよろしくお願いします。
担当:トメ子@アナーキーな建物大好き!